昔から運動が苦手だからと諦めていて、家族のためとか仕事の必要に迫られて、運転免許を取らなければならなくなったけれど、40歳を過ぎて、今さら自動車学校へ行くのが不安な主婦。あなたもその一人ではありませんか?
- 運動神経が悪くても運転免許は取れるのか?
- 自分だけ卒業できなかったら恥ずかしい。
- 教官や他の若い教習生とのコミュニケーションが心配。
若い頃に一度挫折してしまった人もいるでしょう。なんとなく自動車学校特有のイメージがあります。父や祖父の世代からは、とても厳しかった話も聞きます。アクセルに乗せた足を、思いっきり教官に踏みつけられたなどという話もありました。
しかし、今は人口減少の上、車を持たない若い世代が増えたことで、自動車学校も顧客サービスが向上して様変わりしています。それでも、自動車学校は決して誰にも易しい場所でないのは、今でも変わりません。
最近の自動車学校の様子は、人見知りする人の目から見た様子を描いた本が参考になります。
極度の人見知りでも教習所へ行って免許が取れるのか?不安を消す本
40歳を過ぎてから、免許を取りに自動車学校へ行こうと思っているけれど、不安を抱えている主婦への助言になれば幸いです。
自動車学校は自分の内面と対決するところ
自動車学校はカルチャースクールとは違います。生命に危害を与えかねない車という機械を扱う者を養成する学校なので、身に付けなければならない技能と知識が求められます。
教える側と学ぶ側には初めから上下関係があります。その関係は単純ではありません。教える側には教えるという上位の立場と、お客様に奉仕するという下位の立場という矛盾を抱えています。学ぶ側も教えてもらう下位の立場と、お客様という上位の立場という矛盾を持っています。
お互いが矛盾した関係を持ちながら、命に係わる資格を間に挟んで、希望と絶望、忍耐と挫折を伴う感情のやり取りが行われます。教官と教習生の双方に思い違いが生じるのは当然です。お互いの理想と現実、本音と建前がぶつかりあっているのですから。
自動車学校へ行くのに不安を感じる時点で、自分の内面と対決していることになります。自動車学校へ行くのがワクワク楽しみに思える人は運転の適性があります。車の運転の質を決めるのは運動神経よりも、内面的な性質、心理的な性質です。
自動車学校へ行くのが不安な主婦に待っているのは、自分の内面との対決です。過去のマイナスイメージの自分、現在の不満を抱える自分との対決、将来の希望を持てない自分との対決。普段は隠れて気がつかなかった弱い自分の内面が表面に表れます。
自動車学校へ行くのが不安な主婦には、自分の弱い内面と対決する覚悟が必要です。
自己嫌悪と自信喪失への耐性を試される
不安の中で始まる教習は、思い通りにならないことの連続です。自動車という大きな機械を突然操縦するのですから当然です。自分の手足のように操れるようになるには、一定以上の時間が必要です。
しかし、自動車学校は大勢の人たちの中で個人の能力が試されるので、嫌でも他人との比較をしてしまいます。他人と比較すること自体が劣等感の表れです。自分の駄目な部分と他人の優れた部分を比較して自信を失います。
失いかけた自信は、過去の自分の失敗や現在の不甲斐ない自分、未来の希望のない自分まで借り出して、益々自分を攻め立て、追い込んでいきます。
この苦しみから逃げ出そうと、免許取得を諦める誘惑が襲います。励ます自分と逃げたい自分の葛藤が始まります。本当に諦めるのか、このまま頑張るのか、自分の心の強さが試されます。
自動車学校へ行くのが不安な主婦の誰もが通る、当たり前すぎる道です。自動車学校とはそういう場所です。自信喪失や自己嫌悪するのが普通の場所です。挫折する人が正常な場所です。
だから、当たり前の事でいつまでも悩み、いつまでも引きずる必要はないのです。自動車学校とはそういうところなのですから。
自動車学校は失敗を体験しながら体で覚える所
下手だから自動車学校へ来るわけで、上手ければ直接実技試験場へ行きます。免許を取ってからの失敗は事故につながるので、学校の中で失敗を体験しなければならない場所です。
機械の操作なので頭の中の知識だけでは行えません。操作は体で覚える必要があります。体で覚えるには、何回も試して、何回も失敗を繰り返す必要があります。失敗を繰り返すことは必要なことで、恥ずかしいことではありません。当たり前のことです。恥ずかしいと思うことの方が当たり前ではないのです。
失敗を試す場所なので、失敗を無駄にしないことです。試した失敗は役に立てることです。失敗を叱り注意するのは命を預かる教官の当たり前の役目なので、傷つくのは見当違いで、意地悪に感じたとしても一切をアドバイスとして受け止めます。失敗を体験する場所なので、叱られて当たり前なのです。
自信を失うことを悩むのではなく、失敗をどう活かすかを考えることです。自信を失うのは当たり前のことです。当たり前の意味のないことに悩まずに、当たり前の意味のある失敗を活かすことを考えるようにします。
技術的な心構え
主婦に限りませんが、運転が苦手な人の教習の初期に多く見られる特徴が、ハンドル操作に関することです。右左折する時の脱輪や大回り、センターラインオーバーなどです。
視線を遠くに保つ
初めて体験するクロスハンドルで、回すことに気を取られるため、視線や意識が手元や車の直前に集中します。MT 車の場合はギアチェンジやクラッチ操作があるので、なおさら意識は手元・足元に集まります。
視線や意識が近くなるほど、前方を予測した余裕のある運転ができなくなり、車両感覚も全体を感じ取りにくく、部分的なところに偏ります。
ぎこちなくても手元を見ながらの操作をしないで、なるべく前方に視線を置いたまま操作をするように心がけます。
運転動作を体に覚えさせるにも、動作を見ながらやるよりも、視線は遠くに向けたまま行う方が早く身に付けることができます。手元、足元を見ずに遠くを見つめたまま動作を行うようにします。
右左折の脱輪や大回り、センターラインオーバーの原因は、全て視線や意識が車の近くにとどまっているために、広い空間の中での自分の車の位置関係が捉えられないためです。視線が遠くにあれば、曲がり角や交差点の中心点と、自分の車の位置関係が分かるので、曲がるべき軌道を外れることはありません。
また恐怖感に関しても、車の直前を見るよりも遠くを見る方が怖さは少なくなります。この心理はスピードについてだけでなく、教官が横にいる緊張感、操作を失敗した時の焦りなど、教習の間全体の緊張状態に関わります。遠くに視線を向けることで、全体の恐怖感や緊張感を軽減することが出来ます。
動作に合わせて心の中で口ずさむ
私の通った自動車学校では、動作に合わせて口でも確認の声を出すように指導されました。最初は面倒に感じましたが、自分の安全運転の基礎になっています。
「信号青よし、右よし、左よし」(交差点の通過)「(左)ミラーよし、巻き込みよし」(左折)「(ルーム)ミラーよし、右(サイドミラー)よし、(右斜め)後方よし」(追い越し)など、今でも時々口ずさんでいます。
声に出さなくても、動作と一緒に口ずさんでいると、一連の動作の順番が身に付きます。また動作に抜けがなくなります。前進する動作だけでなく、方向変換や縦列駐車などでも、パターン化できるので利用すると良いと思います。
イメージトレーニングをする
実技講習は2時間連続で受けるべきではありません。脳は講習の後も働いていて、習ったことを意識下で消化しています。講習を連続して行うとその時間を奪うことになり、未消化として残ります。私も経験しましたが、講習を受けていない間も技能は向上しているのです。
自動車学校で時間に余裕があれば、他の教習者の運転の様子を眺めたり、携帯の動画や写真に収めて、繰り返し見ることです。車がどの位置で曲がったり止まったりしているかを観察します。
教習中の車の中から見る映像と、外から観察した映像が脳の中にインプットされていき、脳は休んでいる間も働き続けて、勝手にイメージトレーニングをしてくれます。勿論、意識的に映像を思い浮かべるようにすれば効果は増加します。自分の不得意な部分を集中的に観察すると、脳も反応して集中的にイメージトレーニングしてくれます。
また、自動車学校の送迎の車の運転手や、バスの運転手、家族が運転する様子を近くから観察するのも有効です。イメージトレーニングの材料をどんどん蓄積していきます。
更に、路上教習に進んでも、教習のコースを家族の車で走ってもらって、運転手の後方から動画を取って、繰り返し観察します。自分で運転している姿を想像しながら、スピード感や対向車、歩行者を観察します。なるべく教習車が走るような安全運転で走ってもらうと良いでしょう。
教官は敬意を持って利用するもの
人間同士の関わり合いなので、当然相性というものがあります。何度接してもギスギスした緊張感が消えない人。初めから打ち解けられる人。私自身は人生勉強と思って選り好みしませんでしたが、選択できるシステムの学校なら、気に入った教官を指名するのも良いでしょう。
避けた方が良いのが、何かを質問して誠実に答えようとしない教官です。当たり前の仕事を放棄しているわけですから、こういう人は論外です。教官は分からないことや疑問に答えるのが仕事です。遠慮せずに何でも質問して構いません。この場面の関係は、教習生が上位のお客様で、教官はサービスを奉仕する役目です。
教えている最中は教官が上位ですが、質問する時にはお客様が上位なのです。学校の中では、上位と下位の関係が交互になります。この関係を一方的に終始下位の立場でいると、次第に教習そのものが苦痛になっていきます。
敬意を持って従う場面と、お客様として堂々と当然の権利を実行することの切り替えは、意識の中に持っていなければなりません。
自動車学校は自分を試して鍛える道場
教官の何気ない一言に傷つくことがあります。
- 自動車学校はそういう場所だからと開き直る。
- こういう言い方は自分は他人にしないでおこうと教訓にする。
- 自分を鍛えてくれる教官の愛情だと思って感謝する。
教官から飛んで来る刺すような言葉を、どうやって自分の質を高めることに転化できるかどうか。普段の生活では経験できないような、言葉や態度の圧力対する受け身の練習をしているようなものです。
自動車学校は自分と対決する場でもあります。自分はこんなにプライドが高かったのか、自分はこんなに耐える力がなかったのか気づかされます。自分の弱さを自覚してからが勝負です。弱くて当たり前のところからが始まりです。どれだけ自分の負の感情をコントロールできるか。失った自信をどうやって回復していくか。誰のせいにもできない自分で選択した責任を、どう果たしていくか。自動車学校は自分を鍛える道場です。
くじけそうになった時は
自分を励ます歌を口ずさむ
どうしても辛いときは、全てを忘れて歌でも口ずさみましょう。明日からまた新たな気持ちで頑張りましょう!
●『愛は勝つ』(作詩・作曲:KAN)
<出典動画:『結婚式サプライズムービー(137人の愛は勝つ合唱リレー)』YouTube>
●『明日があるさ』(作詩:青島幸男 作曲:中村八大)
<出典動画:『明日があるさ』YouTube)
●『負けないで』(作詩・作曲:坂井泉水、織田哲郎、川島だりあ)
<出典動画:『5分に凝縮 秦野の魅力『市民が市内をご案内「負けないで」にのせて』』YouTube>
免許を取った後の自分の姿を想像する
- スーパーで沢山の買い物をして車に積み込んでいる姿。
- 家族とディズニーランドに出かけてにぎやかな車内の様子。
- 子供たちと一緒に車を洗ってピカピカに磨いている様子。
免許さえ取れば、辛い教習も楽しい思い出に変わります。苦しみの向こうには、幸せが待っています。一時の挫折で諦めても良いのでしょうか?
免許を取ったらやりたいことは何ですか?簡単に諦めて後悔しませんか?免許を取った後の自分の姿を想像してください。弱気になった心に勇気が湧いてきませんか?
死にそうでどうしても耐えられなくなった時は
精神的にも、体力的にも、経済的にも限界が来て、継続することが出来なくなった場合、自分にかけてあげる言葉があります。
「運転免許は取れなくても、それが自分の能力の全てではない。運転が出来なくても、本を読むのが好きな能力がある。カラオケが好きな能力がある。家族に美味しいごはんを作ってやれる能力がある。笑顔で声を掛けられる能力がある。自分にはまだまだたくさんの能力がある。運転免許だけで、自分の優劣の評価は決まらない」
優秀な成績より慎重なドライバーで卒業する
自動車学校は、スピードレーサーの養成所ではありません。安全な運転者を育てる学校です。成績が優秀な人が立派なのではなく、自分を過信しないで慎重な運転を心掛ける人が立派なのです。
仮免、卒検を一発でパスすることが立派なのではなく、何回落ちても、慎重な運転が出来るようになることが立派なのです。何度試験に落ちても恥ずかしいことではありません。落ちるのは当たり前のことで、当たり前のことで恥ずかしがる必要はありません。一発で試験を通って、有頂天になるようなら、そのことの方が恥ずかしいことです。
教習は緊張するのが当たり前です。緊張するのはまだ運転が体に覚え込んでないからです。緊張することに悩むのではなく、緊張しなくなるように練習が足りていないことを自覚しましょう。緊張は練習不足と認識しましょう。
補修を受けたり試験に落ちたりすることは、成功へ一歩近づいた証拠です。失敗の回数を重ねる程、成功に近づくのだと考えましょう。
優秀な成績で卒業することを目指すのではなく、運転マナーの良いドライバー、慎重な運転を心掛けるドライバーになることを目指して頑張りましょう。