横断歩道の手前で歩行者に気を使って減速したりした時、右折するタイミングにもたついた時、制限速度を守って他の車の流れより遅かった時、突然後方の車からクラクションを鳴らされて、焦ったことはありませんか?

クラクションの鳴らし方も、注意を促す冷静な鳴らし方と、怒りをぶちまけるような攻撃的な鳴らし方をする人がいます。

一度でも、激しいクラクションで煽られたら、後ろの車が気になり出します。クラクションが、自分の運転を劣ったものだと評価しているように思えてくるのです。「またいつ鳴らされるか心配で、ルームミラーばかり見てしまう」

クラクションを鳴らされて煽られた時の恐怖を取り除く方法はあるでしょうか?

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クラクションを鳴らす側の心理

スピルバーグ監督の初期の傑作に『激突』という映画があります。見知らぬトラックから執拗に付け狙われる恐怖を描いています。

車に乗ると人格が変わる人がいます。悪意なく追い越したことが、追い越された人の自尊心(プライド)を傷つけることにもなり得るのです。

車で意思表示する方法は、ヘッドライトやウインカー、ハザード、クラクションがあります。ヘッドライトとクラクションは、警告以上の恐怖を伝える道具にもなり得ます。後ろの車からパッシングとクラクションで、しつこく煽られたら強い恐怖を感じます。

閉ざされた空間の車内は、鉄の塊で保護された安全地帯でもあります。SNSの中では匿名であることを武器にして、小さな思いを大きな怒りに増幅して表現することが起こります。同じように、車の中に居るという一種の匿名性が、あからさまな感情を露出させやすくします。

車は人の能力を増幅させることができます。走るスピードを何倍にも高めてくれます。アクセルを踏むだけで、簡単にその能力を手に入れられます。このことが、万能感を与えます。自分が強くなったような万能感です。

  • 隔離された車の中という匿名性による解放感。
  • 車という機械がもたらす能力による万能感。

この2つ感覚によって、素の自分とは異なる性質が表面化します。臆病な性格の人でも、突然、攻撃的な性格に豹変するのです。

普段は心の奥の方に抑え込まれている不満があれば、その瞬間をきっかけに、突発的に外側に溢れ出します。

会社や仕事、家庭などの人間関係の中で、抑圧されているような場合に、その不満のはけ口として、自分より弱い立場のものを攻撃して解消しようとします。

若葉マークやもみじマークを見ると、自分より弱者と思う優越感が起こり、無意識に悪意ある反応をしてしまうケースも多いのです。

クラクションには、鳴らす人の抱える内面的な不満のはけ口にもなり得ます。その不満の強弱によって、クラクションによる表現にも強弱が生まれます。

前の車がもたもたしている。 自分のスピード感、運転感覚と合わない。その時、 「何をもたもたしてやがる。早くしろ!この野郎!」となるか、 「しょうがないなあ、でも自分もそうだったし、待ってあげましょう」となるか、 前の車のドライバーの問題よりも、後ろの車のドライバーの心の状態がクラクションの性質を決定します。  

クラクションを鳴らされる側の心理

後方から突然聞こえて来たクラクション。その瞬間の反応は、受け取る側の心理によって変わります。

受け取る側の心の中にも隠れている不満が合った場合、その不満を爆発させて解放する導火線に火を付けることになります。クラクションは相手の敵意の表れとして認識します。自分の行動に反省を求めることより、相手の行為の中に悪意を探します。悪意には悪意で対応することになります。

受け取る側に、運転に対しての自信や信念が確立していない場合、クラクションは、自分の行動を自ら否定しようとする働きを助長します。「自分の行った運転操作が間違っていたからクラクションを鳴らされた」としか思えません。クラクションを鳴らされた原因を分析するよりも、鳴らされてしまう自分を責めることに専念してしまいます。

その動揺が、運転することの恐怖につながって行きます。クラクションを鳴らされてしまう自分には、運転する資格がないのではないかという疑問が大きくなっていきます。

受け取る側に、隠れた不満も自信喪失感もなければ、鳴らされたクラクションの意味や原因を冷静に分析して、それに合った対応ができます。しかし、そういう対応が誰でも直ぐに出来る訳ではありません。

運転に自信を持っていない人は、どういう方法でクラクションに対応すれば良いでしょうか?

心優しき運転弱者のクラクションへの対応

もうだいぶ前になりますが、私の家に何かのセールスの電話がかかってきたことがありました。相手は早口に会社名を名乗り、何かの商品を一方的に説明しようとしたので、私は強引なセールスと思い面倒になって、「私は留守番を頼まれた者なので分かりません!」と言って電話を切りました。

すると直ぐに、切られた相手がまた電話をしてきたのです。「なんだその切り方は!なめてんのか?」と凄みを利かしてきます。私は関わりたくないので返事をせずに電話を切ると、また電話をかけてきて、「お前、留守番なんて言ってるけど、本当は泥棒だろう?」などと因縁を吹っかけてきます。それから、何度も何度もそのようなやりとりが繰り返されました。

その時私は感じました。この人は毎日こんな風にして、セールスで受けた仕事上の不満を、冷たい応対した人にぶつけているに違いないと。その恰好のターゲットに、今の私はなってしまっているのだと悟りました。

「待ってろよ、これからそっちに押し掛けるからな!」という脅すような言葉に、「失礼な対応をして申し訳ありませんでした」と、相手の心を静めるように答えました。すると電話の向こうから「えっ?」という驚いた声とともに、受話器を置く音が聞こえました。

私の思いがけない謝罪の言葉に、相手の戦意が失われたのか、それとも不満が解消されたのか、しつこく電話をかけてきた相手の暴力が止みました。傷つけられたプライドを解消させる方法は、素直に謝ることだと痛感しました。それがどんなプライドであってもです。

クラクションを鳴らして煽ってくる相手も、不満の裏返しのようなプライドを持っています。強者には卑屈になり、弱者には卑劣になるプライドです。そんな歪んだプライドにまともに対抗しても解決しません。逆らうのではなく、プライドを傷つけないように、やり過ごすのです。

「負けるが勝ち」というのはこういう場合に使う言葉です。歪んだ相手のプライドに、こちらもプライドを歪ませて対応しても解決しません。相手に見せかけの勝ちを譲ることで、自分の安全を守ります。

  • 走行中に後ろから クラクションを鳴らして煽ってくる車には、無条件で道を譲ります。ウインカーかハザードを出してゆっくり路肩に寄せて、追い越して行かせます。道幅が狭い場合には、路地を曲がったり、どこかの駐車場に退避します。
  • 右折待ちや合流待ち、踏切待ち、駐車場の空き待ちなど、どこにも逃げ場がない場所でクラクションを鳴らされて煽られた場合には、慌てて無理な行動をせず、今とりかかっている行動を安全に完了させることに集中します。その後で譲る行動をします。焦って譲ることが、危険を招く危険性が高いからです。
  • 相手に譲った後、クラクションを鳴らされた理由を考えます。自分にも非があれば反省をして今後に活かします。全く非が思い当たらなければ、危険や暴力を回避出来たと納得します。どちらかに整理して、思い悩まないようにします。

絶対にしてはいけない対応

私がセールスの電話の暴力で経験したように、暴力に暴力、敵意に敵意、プライドにプライドで対抗すると、相手は火に油を注がれたように憎悪の炎を燃え上がらせます。

  • 車の後ろにピッタリ付かれて、怒って急ブレーキをかけたり、蛇行して進路を妨害したりしては絶対に駄目です。譲るか退避する行動以外は危険です。
  • トラブル状態を長引かせては駄目です。速やかにハザードや窓から手を出して謝意を伝え、対抗心がないことを表わします。ニュースで報じられるトラブルの多くが、早い段階で譲ることや、謝る意志を伝えることが出来なかったためです。
  • 何の意思表示をしない無視も駄目です。無視することは敵対行為と同等の刺激を与えます。あらゆる方法(ハザードや手、顔の表情、会釈など)を使って、謝罪の意志を伝えます。どちらが正しい、正しくないは無関係です。危険回避、安全を守ることが最優先です。

運転中に起きた事は自己責任

他人からのクラクションは、自分の運転に対する評価です。その評価が正当な場合もあれば、不当な場合もあります。

いずれにしても、自分の運転の評価、とりわけ安全運転の評価は、自分で判断しなければなりません。自分の運転の責任を取るのは他人でなく自分です。

他人のクラクションで、自分の安全を譲ってはなりません。譲るのは相手のプライドだけで安全は譲りません。相手に譲るのは、自分の安全を守るためです。自分のプライドのために、自分の安全を譲ることもしません。

他人のクラクションがどんなに煽っても、自分で安全を確信できないことをしては絶対に駄目です。他人のクラクションのためでも、事故を起こした責任を取るのは自分です。

自分の安全を守るために、譲る。こちらが悪くなくても譲る。その譲り方は無条件ではなくて、こちらの安全を守った上での譲歩です。クラクション→譲歩でなくて、クラクション→安全確保→譲歩です。